ちょっと歴史を覗いて見よう

hawaii
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ハワイと日本のつながり

1959年ハワイがアメリカの 50 番目の州になる前から日本とハワイの繋がりは深いものがありました
日本からの初めての移民は 1868(慶応4年/明治元年)から始まっていたのです
我が国と第5代ハワイ国王カメハメハ五世の間で移民契約をしたのが江戸幕府でしたが、契約をしたあと江戸幕府は滅びました
ハワイに向かうサイオト号 153 人(男146、女5、子供2)はハワイ上陸まで明治時代になったことを知りませんでした、のちに彼らは歴史上では元年者(がんねんもの)と呼ばれるようになりました

カラカウア王の世界一周旅行

18世紀以降、西洋との交流をきっかけに欧米人が持ち込んだ「ハワイにはなかった病気」(現代で言えば新型コロナウイルスほどの脅威)が流行しハワイの人口は激減しました、そして労働力不足から更なる移民政策を取ることになりました

私の大好きな第7代ハワイ国王カラカウア

明治14年(1881年)第7代ハワイ国王カラカウア王が世界一周の途中、日本に立ち寄り赤坂離宮で明治天皇に接見し、姪のカイウラニ王女と日本の皇族山階宮定麿親王との縁組みを申し出ました《結果は後日、明治天皇が丁重に断りの書状を送りました》
もし二人が結婚していたら、日本とハワイは親戚同士でビザなしで行き来が出来ていたかも?

カイウラニ王女(父はスコットランド人)

縁談は破談となりましたが、もうひとつの申し出は大きな成果を上げました
それは日本からハワイへの本格的な移民です
日本移民は年々増加し明治 23 年にはハワイ総人口の何と40%が日本移民と言うまでになっていたのです
主な仕事はサトウキビ畑での従事でしたが、1日10時間の労働、休みは週1日、給与は月額10ドルときわめて劣悪な環境でした
そんな過酷な労働環境の中でも、特に勤勉で働き者の日本人は経済の中心となり、後には政治の中心ともなっていきました  

『明治拾八年に於ける布哇砂糖耕地の情景』より

突然ですが
シャカサインについてのうんちくをひとつ

シャカサインとは、手をグーにして親指と小指をあげるサインのこと
ハワイの人達は写真撮影など、または ALOHAの挨拶と共に必ずこれをします
意味は特にないようですが「元気?」「楽しんでる?」「気楽にやろうよ!」などケースバイケースで使っているようです

やはりオバマさんはシャカが似合います

私たち旅行者もよく使います、しかしそれがどのようにして生まれたかは知る方は少ないと思います

伝えられているところによると、1900 年代前半製糖工場で働いていたある男性にさかのぼります
彼は圧搾担当者として、ローラーでサトウキビの汁を絞るのが仕事でした
ところがある日、彼は右手をローラーにはさまれ、人差し指・中指・薬指をつぶされてしまいました
この事故の後、彼の雇い主であった農場主は、彼をサトウキビ列車の保安要員に配置換えしました
彼の仕事のひとつは駅の前後でスピードを落とす汽車に、子供たちが面白半分に飛び乗るのを防ぐことでした
彼はいたずらな子供を見つけると大声を上げ手を振ってやめさせました
彼の右手には指が 2 本しかなかったため、その姿は少し変わったものに見えました
子供たちはこの彼のしぐさを真似るようになり、彼が周りで監視しておらず邪魔されずに汽車に飛び乗れることを示すサインとして使うようになった要です《所説あり》

今日はガラにもなくアカデミックなお話になってしまいました
さて、明日は『ハワイで見つけたニッポン』と題していくつかご紹介して行きましょう!

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