カイウラニ王女

hawaii
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今週は『イオラニ宮殿』についてお話して参りましたが本日が最終日になり、どうしてもこの方のお話をしておかなければと思い、今日は『カイウラニ王女』についてお話ししましょう
名前はハワイ風ですが容姿は欧米風ですね、そのお話は後ほど…

1897年サンフランシスコにて Wikipediaより

カイウラニ王女とは

1875年ー1899年、わずか23年の生涯
カラカウア王の妹であるリケリケ王女とスコットランド人の父の間に生まれ、生後すぐにカラカウア家の養女となりました

1881年に父カラカウア国王と来日しており、赤坂離宮で明治天皇と会談された際の幾つかの提案の中にカイウラニ王女 (5歳) と山階宮定麿王 (13歳) との縁談がありました
この縁談によってハワイ王室と日本の皇室との結びつきを強くして、ハワイ王国の存続を考えていたとされましたが、しかし明治天皇は「国力増強に努めている明治新政府にはそこまでの余力はない」として後日丁重に断りました

着物に日傘のカイウラニ王女

後にカラカウア王の指示でイギリスに留学するも留学中にカラカウア王は死去
伯母のリリウオカラニから王位継承権第1位を指名され、早くから王家の次世代後継者と目されて国民的人気も高かったようです

イオラニ宮殿とカイウラニ王女

皆さんはこの『カイウラニ』と聞いて、通称PKことシェラトン系の Princess Kaiulani Hotel (プリンセス カイウラニ ホテル) を思い出された方も多いはず、その通りホテルの場所は彼女が幼少期過ごした邸宅跡なのです
また彼女の写真はプリンセス・カイウラニ・ホテルのフロントデスク周りにたくさんありますので、その美貌をぜひご確認ください
ホテルの前の通りも Ka’iulani Ave なのですし、そのそばには彼女の銅像が建っています

①はプリンセス カイウラニ ホテル、②はカイウラニ王女像、オレンジのラインは Ka’iulani Ave
特に②の王女像はそばにはペットのクジャクも一緒です

バス停そばに建つカイウラニ像とクジャク

イオラニ宮殿に初めて電気が引かれた夜、反王政派が反乱を起こし身の安全を図るためにカイウラニ王女はイギリスへ渡ることになります

NYでのスピーチ

Wikimedia Commons より

1897年父カラカウア王逝去のあと、カイウラニは英国からニューヨークに渡り、王国の復活を米国政府に直訴しました
彼女がニューヨークで行なったスピーチは気品と教養に溢れ、エキゾチックな美貌とともに強烈なインパクトを与え、カイウラニの願い通りハワイの先住民にもアメリカ市民権とともに選挙権が与えられるようになりました
その後ハワイ島のパーカー牧場滞在中に体調が急変、ワイキキに戻り23歳の短い生涯を終えました
孔雀を連れた王女の銅像はなぜか悲しみを帯びた様子にも見えます

1993年、当時のクリントン大統領は議会の承認を経た謝罪決議案に署名、アメリカがハワイ王朝を転覆させたことを公式に謝罪しました

下の写真は英米合作映画『プリンセウ・カイウラニ』です、ハワイ王国復興を掛けて奔走したことをメインに描かれた映画で、私は2012年に観ましたがロードショー館ではなく単館上映でした
今思えば私はハワイの歴史映画というだけで観ましたが、もっとじっくり観ておけば良かったと後悔しています

カイウラニ役はクオリアンカ・キルヒャー

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