カイウラニ 米に直訴

hawaii
この記事は約3分で読めます。

リリウオカラニは時代に翻弄されましたが、姪のカイウラニは時代に果敢に挑んだ王女でした

カイウラニの生い立ち

1875年ハワイ王国第7代国王カラカウアの妹リケリケ王女と、スコットランド人の父の間にホノルルで生まれ、生後すぐにカラカウア家の養女となる
早くから王家の次世代後継者 (第8代リリウオカラニの次) と目されて、国民的人気も高かった

カイウラニの両親

1881年カラカウア王は5歳のカイウラニ王女を連れて世界一周の旅へ
最初の訪問国は日本、来日の際に赤坂離宮で明治天皇と会談
姪のカイウラニ王女と13歳の山階宮定麿王との縁談を申し入れた

カイウラニ王女と山階宮定麿王

明治天皇は「国力増強に努めている明治新政府にはそこまでの余力はない」として縁組は実現しなかった
後日談として、カイウラニ王女は政略結婚ではなく、愛のある結婚を希望するということをリリウオカラニにあてて綴っている

カイウラニ王女
今週は『イオラニ宮殿』についてお話して参りましたが本日が最終日になり、どうしてもこの方のお話をしておかなければと思い、今日は『カイウラニ王女』についてお話ししましょう名前はハワイ風ですが容姿は欧米風ですね、そのお話は後ほど…189...

次期王女に指名

14歳の時カラカウア王の指示でイギリスに留学
1891年留学中に父カラカウアは死去
叔母であるリリウオカラニが王位継承権第1位に指名されハワイ王国第8代女王が誕生
カイウラニ16歳の時に次期女王後継者に選ばれた

十代前半のカイウラニ王女、ハワイにて

ハワイ王国崩壊

1893年渡英3年が過ぎカイウラニ王女が17歳になったころ母国ハワイでは欧米系住民によるクーデターが起こりハワイ王国が滅亡
リリウオカラニ女王は裁判により、捕らわれの身になったことを、英国留学中だったカイウラニは遠いイギリスの地で聞いた

美貌のハワイ王国最後の王位継承者

アメリカに直談判

1895年カイウラニ王女は父と共にアメリカ東海岸に渡り、クリーブランド米大統領との面談に成功し、クーデターの不当性、無効を訴える
ハワイは野蛮な国との印象を持っていたアメリカの人々は、カイウラニ王女のたぐいまれなる美貌とヨーロッパで身に付けた洗練された姿に、ハワイのイメージを一新
各新聞社はカイウラニ王女の訴えに応援し、おのずとアメリカの国民の世論も欧米系住民よりハワイ王朝に味方し、大統領も徹底調査すると約束する
その後、ニューヨーク、ボストン、ワシントンDCなどで、ハワイ王国復興を訴えた続けた
彼女がニューヨークで行なったスピーチはイギリス仕込みの気品と教養に溢れその美貌とともにアメリカ人の心に痛烈に刺さった
カイウラニ王女17歳の時だった

カイウラニはアメリカで絶大な人気を得ながらも、ハワイに帰国しなかった
ハワイの人々の支持を受けている叔母とハワイのために…

カイウラニ王女 21歳の頃

1897年、カイウラニは8年ぶりに祖国ハワイに戻る
1899年3月6日に友人の結婚式に出かけた際に風邪をこじらせ23歳の若さでこの世を去る
米国はハワイをハワイ準州として併合した翌年にことでした

今でもワイキキの一等地にプリンセス・カイウラニ・ホテルがあり、近くにはペットのクジャクと一緒の銅像もあります

Kaiulani Ave.とKuhio Ave.の交差点にある銅像

資料・写真はハワイ観光局アロハプログラムより

明日は4歳年上の同じくカラカウア家の養子 (異父母兄) クヒオの生涯についてお話ししましょう

コメント

タイトルとURLをコピーしました