ヌウアヌ パリは決戦地

hawaii
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ヌウアヌパリと言えば

今から20~30年前のパッケージツアーの際、ホテルのチェックインまでの間の市内観光で訪れた方も多いはず

もっとも当時はヌアヌ パリと言っていました
ヌウアヌ パリ展望台といえば風光明媚、かつ強風のメッカとして知られます
ホノルル側からカネオヘへ抜けるパリハイウェイにあり、オアフ島の背骨にあたるコウラウ山脈の切れ目のために強風が吹くようです
ここからのカネオヘ方面の眺めは素晴らしいものがあります

カメハメハ軍上陸

カメハメハ大王によるオアフ島征服の決戦地となったのが、ほかならぬこの場所です
1795年のことハワイ島のカメハメハ王率いるカヌーの大軍団が、ワイキキ周辺に到着しました
その数なんと1,200隻、1万4,000人もの戦士がオアフ島に上陸したといわれます
さゆりロバーツさんの「ワイキキ歴史街道ツアー」の説明によりますと、ワイキキの水平線はカメハメハ軍のカヌーで埋め尽くされた…


実際の映像:ダイヤモンドヘッドとワイキキビーチ
この絵からもう一つ読み取れる事柄があります
ハワイアンのカヌーと大波に隠れるように、明らかに西欧のものと思われる帆船が1隻描かれており、西欧の船もこの戦闘に使われていたことを物語っています
当時オアフ島を統治していたのは、元々マウイ島の首長だったカラニクプレでした
その5年前、カメハメハ軍に攻め込まれてマウイ島が陥落し、カラニクプレは命からがら支配下にあったオアフ島に逃げていたのです

カメハメハ軍決戦の地

カメハメハ軍は上陸後、オアフ軍が待ち受けるヌウアヌ渓谷を目指して行軍しカネラアウヘイアウ (祭祈場) で両軍が激突しました
人数で勝るカメハメハ軍はオアフ軍を蹴散らしながら、さらに渓谷奥へと進みます
ヌウアヌの丘の中腹でも大きな戦闘があり、激しい砲撃戦がありました
やがてカメハメハ軍はオアフ軍をヌウアヌの崖まで追い詰めます
追い詰められたオアフ軍戦士は、高さ300メートルものその崖から、数千人が落ちて死んだとされています


実際の映像:ヌウアヌパリ展望台
上の絵を始めて見た時はショックでした
また、今もこの下を通るパリハイウェイには、オアフ島戦士の幽霊が出ると言われています
《絵画は共にロイヤルハワイアンホテルに飾られているハーブ・カネの絵》

カメハメハ大王

ハワイ8島を統一し、ハワイ王国初代の王であることは皆さんもご存じの通りです
生誕は諸説ありますが1758ー1819年とされています
ハワイ島の首長の甥にあたり、叔父の死後その長男を倒して島内を掌握しハワイ島を治めます
また、一説によると身長は2メートルもあったと言われています
優れた外交手腕で、イギリスやアメリカ合衆国などの西洋諸国との友好関係を結び、火器と火薬の調達に力を入れ、火器の使用法や管理法を習熟した白人の顧問を迎え入れたことがカメハメハ軍の強さの秘密だったようです

上の写真はカメハメハ大王像ですが、作られたのは第7代国王カラカウア王の時代でした
実はカラカウア王のイケメンの側近をモデルにして作られたと言われています
それでは本物はどんな人だったのでしょうか?
その頃はまだ写真がありませんので絵画です

ガッカリされて方も多いのでは…

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