プリンス クヒオ デー

hawaii
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3月26日はクヒオデー

明後日の日曜日は「プリンス クヒオ デー」です
庶民の王子として人々から尊敬され親しまれたクヒオ王子の生誕記念日です
地元に貢献した功績を称えて、クヒオ王子の誕生日をハワイ州独自の休日と定めました
それに合わせて、生まれ故郷のカウアイ島始め各所でお祝い行事が行われ、ワイキキでは毎年カラカウア通りでクヒオ王子を称えるパレードが行われます

下の写真はクヒオ王子銅像前でのセレモニーの写真です

画像提供:Hawaii State Archives

プリンスと言うことは王族男子です
日本で言えば親王で、ゆくゆくは国王になる人なんですね
第7代国王カラカウア王のお妃カピオラニ妃の甥にあたり、後に養子となりました

銅像はココにあります

ワイキキのカラカウア通りに銅像があり、ことによったら知らない間に前を通っていたかも?

王子と聞いて初めに「ハンカチ王子」や「はにかみ王子」を思い出された方も多いはず
私たちのイメージでは未成年の男子を思い浮かべますが、下の写真のように「クヒオ王子」の銅像は立派な紳士です
欧米的な衣装の上に羽織っているのは、肩を隠す程度の大きさの王家の者であることを表すケープ (キプカ kīpuka ) です

もちろん、この像はうら若きお年頃を経てからのお姿です
先ほどもお話ししましたように、世が世であればハワイ王国の国王になられたお方でした
しかし21歳の時経済的な実権を握るアメリカ系白人勢力の画策によりハワイ王国は終焉を迎えました
これによりハワイ最後の王子となったわけです

波乱に満ちた生涯

1871年カウアイ島の王族の家系に生まれる
王族用のオアフ・カレッジ (現在のプナホウ・スクール) で学んだ後、カリフォルニア州のセント・マシュー聖公会学校とイギリスの王立農業大学で4年間学んだ
ちなみにこの学校は幼稚園から大学までの一貫校で、オバマ元大統領もプナホウ・スクールの卒業生

サッカーなどのスポーツに秀でていたと言われる

アメリカで初めてサーフィンを披露した王族、左がクヒオ王子

クヒオ王子は日本とも深いかかわりがあります
なんと学習院に留学していたこともあり、日本人女性との結婚を周囲は期待したようですがそれは叶わなかったようです
1891年にカラカウア王が亡くなると、叔母のリリウオカラニ女王が即位
21歳の時にリリウオカラニ女王が王権を放棄しハワイ王国が終りを告げ、ハワイ共和国の時代へ
その2年後には王権を取り戻そうという動きが活発化
クヒオもその動きに加わりハワイ共和国への反逆罪で逮捕され、一旦は死刑を宣告されたが懲役刑に減刑されて服役
1898年、米国はハワイを共和国からハワイ準州として併合
服役が終わると、クヒオは徐々に政治家への道を進む

しばらくハワイ独自の党派に所属した後1902年には共和党に入党選挙で選ばれて1903年から亡くなるまでアメリカ合衆国議会のハワイ代表を務めた
1922年、オアフ島ワイキキにて50歳で逝去

死して名を遺す

フルネームは「プリンス・ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ・ピイコイ」
凄いことにこの名前には、オアフ島の主要な通りの名前が3つも入っています

Kuhio Ave.
Kalaniana’ole Hwy
Piikoi St

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