日系人捕虜収容所

hawaii
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今日は重いお話しです

今から82年前の12月7日日本軍の真珠湾攻撃によって第二次世界大戦が始まり、日本とアメリカは敵対関係となりました

真珠湾へは何年か前に私も行きました
パールハーバーの水深12mの海底に沈む戦艦アリゾナの上に建つ白亜の「アリゾナ記念館」へはランチボートで行きます
そして、海底のアリゾナからは今も虹色の油が漏れ出ていました

多くの人が亡くなった愚かな行為は二度と繰り返してはいけないと、胸が締め付けられほど強く思いました
それから長い年月を経て、私たちが今ハワイを楽しんでいられるに至るまでには、それはそれはつらい過去がありました

戦争が始まったハワイ

開戦後、反日感情の強い民主党フランクリン・ルーズベルト大統領はハワイの日系人移民たちを隔離、抑留する大統領令に署名承認しました
それが、ちょうど81年前の明後日の1942年2月19日です
ハワイを始めアメリカに住む日系移民たちは、真珠湾攻撃直後から不安な毎日を過ごすことになりました
突然、憲兵を伴うFBIの職員が土足で日系人の民家に上がり込み、問答無用で一家の主を連れ去っていく…
また、教師や住職などを含めた日系人社会で影響力のある指導者が連行される…
ダウンタウンの横浜正金銀行の地下に仮の留置場が設置され、今もその建物は残っており地下の鉄格子も存在しているようです
一方、若い男性はアメリカへの忠誠心を表すために軍隊へ志願し、欧州戦線で勇猛果敢に戦い戦果を挙げ、最も多くの勲章を受けた部隊 (第100大隊)とされています

ヨーロッパ戦線から帰還した息子と抱き合う日系人の父 (出典:日本文化センター)

偶然買った本

普段はあまり本を読まない私ですが、ハワイ滞在時はプールサイドで本を読みます
2~3年前に古本屋でハワイがらみで偶然買った虹の絆(毛利恒之著)
真珠湾攻撃直後から人生を狂わされた日系人の生活を題材にしたセミドキュメンタリー小説です
それから戦争中のハワイの日系人に興味を持ち、いろいろ調べてました

過酷な留置所・収容所

当時、ハワイの人口の3分の1を占める日系移民の生活は大きく変わりました
真珠湾攻撃直後から日系人の生活は狂わされていき、大人の男性は留置場へと連行されました
わずか数人でいっぱいになる留置場の部屋には何十人もの日系人が隔離され、明日の生活もわからない不安のなか日々暮らしていました
部屋にはベッドもなく中央にバケツひとつが置かれて、それがトイレに代用されるような動物以下の扱いを受けていました
その後すぐにホノルル港に近いサンドアイランドにテントがいくつも張られ、有刺鉄線で囲まれた収容所には400人もの多くの日系人が家族と引き離されて強制収容されました
しばらくすると、船に乗せられ本土に建設されたいくつもの強制収容所に移動させられ、厳しい環境の本土の収容所では、命を落とす人も少なくなかったようです

ホノウリウリ日系人捕虜収容所

上記の本を読み進めると出てくるのがホノウリウリ日系人捕虜収容所

がホノウリウリ日系人収容所跡地

同収容所はオアフ島パールハーバー近くにありました

高温多湿のジャングルの近くにあり、戦後人々から忘れされれていましたが、ハワイ大学の考古学専攻の学生により発掘が進められ、長く放置されていた谷間からは、1944年と書かれたマンホールの跡や洗濯場であった場所等が次々に発掘され、2015年には米国の国定史跡に指定されました
本土では日系人の家族全員が着の身着のまま、家も財産も没収され強制収容された日系人の数は12万人以上にもなったようです

初期の日系人移民や戦中戦後の移民の生活は、ワイキキからも近いモイリイリ地区の「日本文化センター」へも行かれることをお勧めします

ハワイ州の今に至る発展を支えた日系移民の歴史の一幕が残る貴重な場所です
私たちが今「夢の島ハワイ」を楽しめるのも、先達日系人の苦労のお蔭と思います
戦争という愚かな行為が人々にどんな影響を与えるのか、私たちは決して忘れてはいけない!

今日は重く暗いお話しで済みませんでした
来週からはいつものようなお気楽で美味しいお話しに戻しましょう

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