プリンス…?
プリンスってことは皇室関係 !?
その通り!ハワイでは王族です
第7代国王カラカウア王のお妃カピオラニ妃の甥にあたり、後に養子となりました
ワイキキのどこかで見たことはありませんか?
短めのケープを肩に掛けていますが、これはハワイ王族の盛装です
実はこの銅像、ここにあります
ワイキキビーチを背に、セントオーガスティン教会に向かって建っています
特にこの辺のビーチをクヒオ・ビーチと言われています
プリンス クヒオ デー
その前にこの方のお名前から「プリンス ジョン クヒオ カラニアナオレ ピイコイ」(Prince Jonah Kūhiō Kalaniʻanaole Piʻikoi)
この名前それぞれがオアフ島の通りに名前になっています

このピイコイさんのお誕生日が明日の3月26日になり、ハワイ州独自の祝日となります
「庶民の王子」として人々から尊敬され親しまれたクヒオ王子の生誕記念日、ハワイ各所でセレモニーが行われます
ワイキキでは毎年、カラカウア通りを交通止めにして盛大なパレードが挙行されます
どんな人でしょう
祝日にするくらいのクヒオさんはどんなことをした方なのでしょう
若いころのクヒオさんは、日本の学習院に留学していたこともあるそうです
日本人女性との結婚を周囲は期待したようですが、それは叶いませんでした
捕鯨で繁栄した時代が終り、砂糖産業が国の一大産業になっていたハワイ王国は、1874年に第7代国王カラカウアの治める時代に入ります
ハワイ王国は米合衆国に向けて砂糖の輸出を増やすべく両国間の互恵条約締結に成功し、その繁栄を享受していきます
カラカウア王は晩年、若いクヒオ王子を内務省を管轄する重要なポストに据えました
ハワイ王国終焉
カラカウア王時代の後半は、西欧人が多くを占める砂糖農園主や輸出に携わる経営者の力が王権を揺るがすようになり、それらの農園主と貿易に携わる人達は、砂糖業の利権を守るべく米国への併合を主張し始めました
カラカウアが体調を崩しサンフランシスコのパレスホテルで客死した後、王権を引き継いだ妹の第8代国王リリウオカラニ女王は、その2年後の1893年1月、米国への併合を求める親米派に対抗出来ず、王権を放棄するに至ります
クヒオ21歳の時の出来事でした
王国終焉2年後には王権を取り戻そうとの蜂起が起こり、クヒオもその動きに加わりハワイ共和国への反逆罪で逮捕され1年近く収監されました
ハワイ準州へ
ハワイ王国の終焉を目の当たりにし、その後ハワイがアメリカ合衆国の準州になってからは、ハワイ代表の共和党員としてワシントンD. C.で20年に渡りアメリカ合衆国議員を務めました
ハワイ王国⇒ハワイ共和国⇒アメリカ合衆国準州と時代を生き抜き、1922年 (大正11年)、50歳で他界しました
《参考資料:ハワイ州観光局アロハプログラム》
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