最後の国王リリウオカラニ

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上の写真は第八代ハワイ国王リリウオカラニ王女 (出典=Wikipedia)

悲劇の王女

1891年第七代国王カラカウアが渡米先のサンフランシスコで客死
妹のリリウオカラニは女王として即位、共和制派との対決姿勢を強めた
1892年ハワイ人らの新憲法制定の請願を受け、国王権限を強化するも憲法草案は閣議で否決
砂糖産業を中心としたハワイの経済界は王権の継続を拒否
そして親米派の白人勢力によって王国が倒され、1893年リリウオカラニが退位
翌年、臨時政府は共和国の独立宣言を行った
リリウオカラニは反乱の首謀者の容疑で逮捕されイオラニ宮殿に幽閉
1898年ハワイ共和国はアメリカに併合されハワイ準州となる

カメハメハ大王により統一されたハワイの島々は、約1世紀を経た後アメリカ合衆国の領土へと変容していった

幻の王位継承者

リリウオカラニ女王が即位後、王女夫妻には子供に恵まれなかったため姪のカイウラニが王位継承者となっていた

リリウオカラニ女王の妹を母にスコットランド人を父として生まれ、生後すぐにカラカウア家へ養女に出され、早くから王家の次世代後継者と目されて国民的人気も高かった

カイウラニ王女 出典=Wikipedia

1889年からカラカウア王の指示でイギリスに留学
留学中にカラカウア王は死去し、伯母のリリウオカラニから王位継承権第1位を指名される
1893年にクーデターが起こってハワイ王国が滅亡する
英国留学中だったカイウラニは渡米してクーデターの不当性をアメリカ大統領に面談し訴え、徹底調査する約束を取り付ける
ハワイ併合の翌年1899年に23歳で死去

カイウラニ幼き頃、カラカウア国王は来日し (カイウラニ同行) 赤坂離宮で明治天皇と会談、幾つかの提案をした
その一つが姪のカイウラニ王女と山階宮定麿王との縁談 (当時山階宮定麿王は13歳カイウラニは5歳)
しかし明治天皇は「国力増強に努めている明治新政府にはそこまでの余力はない」として断っている

いま、私たちが楽しんでいるハワイにもこんな歴史があったんですね!

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